パリサイ人はこんな祈りをした。
「神よ。私はこの取税人のようではないことを、感謝します。」
取税人はこんな祈りをした。
「神よ。私はこのパリサイ人のようではないことを、感謝します。」
2012年05月17日
2012年05月05日
商業用原発が子どもの日の深夜に全停止
原発、42年ぶり稼働ゼロへ=北海道電・泊3号機が検査入り
全国の原発で唯一稼働している北海道電力の泊原発3号機(北海道泊村、91.2万キロワット)が5日深夜、定期検査のため発電を停止する。これにより、国内の原発50基は全て運転停止状態となり、原発の発電量は1970年以来42年ぶりにゼロとなる。原発が基幹電源となってから初の異例の事態で、政府が目指す再稼働が実現しない場合、電力の供給不安を抱えたまま需要が増大する夏を迎える。
原発による発電電力量は、ピークの98年度には全体の36.8%を占め、その後も3割前後で推移してきた。しかし、東京電力福島第1原発事故が発生した昨年3月11日以降、国内の原発は定期検査で次々と運転を停止し、再稼働のめどは立っていない。最後の稼働原発となった泊3号機も、5日午後5時に出力を下げ始めた。同11時ごろには発電を停止する。(2012/05/05-17:27)(時事通信)
今日は脱原発に向けての初日。
廃炉を目指して。
2012年05月03日
65回目の憲法記念日に寄せて
今から65年前の1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念して、5月3日が憲法記念日と定められている。教会にとって憲法は絶対的指針ではないとはいえ、教会と国家との関係において立憲政治を祈ることは信仰と自由を守るためにも大切なことである。そして市民共同体と共にある信仰共同体として市民社会の平和と福祉を祈ることは教会の社会的責任でもある。この点から教会が憲法を尊重することは当然である。加えて、為政者が憲法を守るようにと祈り、訴えることは、教会の預言者的・王的・祭司的働きにおいて重要なことである。
今般、原発再稼動問題がある。1年前の福島第一原発事故により、原発は人類に利益ではなく不利益をもたらし、人々とりわけ子どもたちの健康と将来を侵害し、自然環境・生態系に破滅的影響を与るものであることが明らかにされた。今なお続く社会の不安定性を鑑みれば、原発が生存権(憲法25条)を侵害していることは明白である。原発は差別の社会構造に基づくものであり法の下の平等(憲法14条)を侵害し、基本的人権(前文、憲法11条、憲法97条)を脅かしている。原発は明らかに憲法違反である。原発再稼動は憲法上からも許されないことである。
そもそも原発は歴史的にも技術的にも核兵器開発に由来するものである。核兵器開発の疑いがかけられている国々では原発の開発とセットである。日本でも当初から原発と核オプションが疑われてきた。原発は戦争放棄(憲法9条)を脅かしていることは明白である。
民主党には旧自民党系議員(鳩山、小沢、岡田など)や松下政経塾系議員(野田、前原、玄葉など)など明白に憲法改正(とりわけ9条改正)を主張する議員が多い。また自民党は4月27日に7年ぶりの新たな憲法改正草案を決定した。現行憲法の重要な精神から後退している草案である。
政局的理由から、現段階では憲法改正論が国政の場ではそれほど大きく語られてはいないように見えるけれども、憲法改正に積極的な民主党と自民党が多数派を占めている国会であるから油断ならないところである。憲法改正の動きに警戒を怠ってはならない。
今般、原発再稼動問題がある。1年前の福島第一原発事故により、原発は人類に利益ではなく不利益をもたらし、人々とりわけ子どもたちの健康と将来を侵害し、自然環境・生態系に破滅的影響を与るものであることが明らかにされた。今なお続く社会の不安定性を鑑みれば、原発が生存権(憲法25条)を侵害していることは明白である。原発は差別の社会構造に基づくものであり法の下の平等(憲法14条)を侵害し、基本的人権(前文、憲法11条、憲法97条)を脅かしている。原発は明らかに憲法違反である。原発再稼動は憲法上からも許されないことである。
そもそも原発は歴史的にも技術的にも核兵器開発に由来するものである。核兵器開発の疑いがかけられている国々では原発の開発とセットである。日本でも当初から原発と核オプションが疑われてきた。原発は戦争放棄(憲法9条)を脅かしていることは明白である。
民主党には旧自民党系議員(鳩山、小沢、岡田など)や松下政経塾系議員(野田、前原、玄葉など)など明白に憲法改正(とりわけ9条改正)を主張する議員が多い。また自民党は4月27日に7年ぶりの新たな憲法改正草案を決定した。現行憲法の重要な精神から後退している草案である。
政局的理由から、現段階では憲法改正論が国政の場ではそれほど大きく語られてはいないように見えるけれども、憲法改正に積極的な民主党と自民党が多数派を占めている国会であるから油断ならないところである。憲法改正の動きに警戒を怠ってはならない。
2012年04月30日
2012年5月の月暦
5/1(火)月齢9.8:十一日月
5/2(水)月齢10.8:十二日月
5/3(木)月齢11.8:十三夜
5/4(金)月齢12.8:十四夜
5/5(土)月齢13.8:十五夜
5/6(日)月齢14.8(満月):十六夜
5/7(月)月齢15.8:十七夜(立待月)
5/8(火)月齢16.8:十八夜(居待月)
5/9(水)月齢17.8:十九夜(寝待月)
5/10(木)月齢18.8:二十日月(更待月)
5/11(金)月齢19.8:二十一日月
5/12(土)月齢20.8(下弦):二十二日月
5/13(日)月齢21.8:二十三日月
5/14(月)月齢22.8:二十四日月
5/15(火)月齢23.8:二十五日月
5/16(水)月齢24.8:二十六日月
5/17(木)月齢25.8:二十七日月
5/18(金)月齢26.8:二十八日月
5/19(土)月齢27.8:二十九日月
5/20(日)月齢28.8:三十日月(晦日月)
5/21(月)月齢0.1(新月):朔
5/22(火)月齢1.1:二日月(既朔)
5/23(水)月齢2.1:三日月
5/24(木)月齢3.1:四日月
5/25(金)月齢4.1:五日月
5/26(土)月齢5.1:六日月
5/27(日)月齢6.1:七日月
5/28(月)月齢7.1(上弦):八日月
5/29(火)月齢8.1:九日月
5/30(水)月齢9.1:十日月
5/31(木)月齢10.1:十一日月
5/2(水)月齢10.8:十二日月
5/3(木)月齢11.8:十三夜
5/4(金)月齢12.8:十四夜
5/5(土)月齢13.8:十五夜
5/6(日)月齢14.8(満月):十六夜
5/7(月)月齢15.8:十七夜(立待月)
5/8(火)月齢16.8:十八夜(居待月)
5/9(水)月齢17.8:十九夜(寝待月)
5/10(木)月齢18.8:二十日月(更待月)
5/11(金)月齢19.8:二十一日月
5/12(土)月齢20.8(下弦):二十二日月
5/13(日)月齢21.8:二十三日月
5/14(月)月齢22.8:二十四日月
5/15(火)月齢23.8:二十五日月
5/16(水)月齢24.8:二十六日月
5/17(木)月齢25.8:二十七日月
5/18(金)月齢26.8:二十八日月
5/19(土)月齢27.8:二十九日月
5/20(日)月齢28.8:三十日月(晦日月)
5/21(月)月齢0.1(新月):朔
5/22(火)月齢1.1:二日月(既朔)
5/23(水)月齢2.1:三日月
5/24(木)月齢3.1:四日月
5/25(金)月齢4.1:五日月
5/26(土)月齢5.1:六日月
5/27(日)月齢6.1:七日月
5/28(月)月齢7.1(上弦):八日月
5/29(火)月齢8.1:九日月
5/30(水)月齢9.1:十日月
5/31(木)月齢10.1:十一日月
2012年04月28日
オピニオン執筆者による自称牧師問題についての感想文
先週発売のクリスチャン新聞4月22日号にオピニオンを書きました。2年前のブログ記事をご覧になった方から執筆の勧めがありましたので、過去のブログ記事をまとめて新聞に投稿したものです。一度ブログに書いて公表したことですし、特に断る理由もなかったので、まあ、書いたというところです。2年前に書いた時にあった問題も今は解決に向かいつつありますし(真の解決にはまだ遠いんですがね、やれやれ)、個人的にも執筆に強い動機やら喫緊の課題やらがあったわけでもないんです。そんなわけで、さして大した理由も無く執筆したというのが正直なところです。自称牧師問題というホットな話題を取り上げておきながらこんなことを申し上げるのもなんですが、裏も無ければ憶測を呼ぶようなネタも無いのが真相です。そんなところです。はい。
(日本基督教団史上初の免職といういろいろな意味で歴史的な事象とかぶってしまって、ちょっとタイミング悪かったかなあ。あのお、そちら様の件はとりあえず今のところ関係ございません。まあ、オピニオン読めばわかっていただけると思いますが。)
このオピニオンを受けて「命と性の日記〜日々是命、日々是性」の水谷潔師が「「自称牧師問題」を考える」の記事を書いてくださいましたので、ぜひそちらをご覧くださいませ、ませ。
「自称牧師」問題を考える(1)〜「オピニオン」からの提案
「自称牧師」問題を考える(2)〜現在進行形の事例
「自称牧師」問題を考える(3)〜苦悩する地域教会からのアプローチ
「自称牧師」問題を考える(4)〜「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?
水谷師が「身内の恥」に対するに言及しておられるように、あのオピニオンで私が問題提起したかったのは、つまりそういうことなんです。
もちろん、教団の執行部として問題牧師の処遇にかかわっておられる方々にとっては、「えー。まだ関わり続けろって言うのかよ。冗談じゃねえよ。もうね、紳士的に話し合うっていうレベルじゃねーぞ。正直言ってご免だ。もう、うんざり。もう、終わりにしたい」、という気持ちもあるでしょう。本当にご苦労様です。胃に穴が開いたり、円形脱毛症になったりした方々もいらっしゃるでしょう。問題牧師の処遇に直接関わる担当者の方々は本当にご苦労様と申し上げたいです。
私が問題提起したかったのは、担当者の働きについてではなく、組織なり個人が抱いている、ある種の保身的な「空気」と言ったらよいのでしょうか。「身内の恥をさらしてどうする」とか「臭いものに蓋」とか「寝た子を起こすな」とか、あるいは「トカゲの尻尾切り」というのでしょうか、まあ、そういうことです。
まあ、牧師の不祥事に限ったことではないですが、「アカシニナラナイ」ということをかつてしばしば耳にいたしました。(そういえば、伊那の人たちは言わないね。のんびりしてるんだね。閑話休題)。私のキリスト教理解によれば、救いとは「恥をさらしても生きていける」ものであり、そこにキリストの生と死と復活があると私は信じております(もちろん本人が恥を痛感していることが欠かせませんね。本人が恥と思わずぬけぬけと生きているのは「鈍感の極み」といわざるを得ないでしょう)。ですから、自称牧師問題をしつこくかかわり続けると、「まーだやってんのかよ。もうこれ以上身内の恥をさらすなよ。アカシニナラナイ」という内外から声が聞こえるわけですが、声は声として承りつつ、それでも恥をさらしてもなお、聖化の希望を信じて、かかわり続けるのが、本当のきよめだと思うんですよね。
自称牧師も大きく2つあり、最初から教団の正規の手続きを経ずして牧師を名乗る「生粋の自称牧師」と、今回のオピニオンで取り上げたような免職後も牧師を名乗る「ワケアリ自称牧師」の2つがございます。もちろん、自称牧師のすべてが問題を引き起こしているわけでは必ずしもありませんし、ことに「生粋の自称牧師」に関しては、私の知る限り、重篤な問題を引き起こしている人物はそれほど多くは無いような印象があります。とはいえ、「生粋の自称牧師」の中には、やはり問題ありと言われる人々もおりまして、いわゆる「注意すべき人物」とか「注意すべき教会」のブラックリストに名を連ねております。加えて「ワケアリ自称牧師」の場合は、免職の理由が、どう考えてもアウトだろう、という理由なわけですから、それでもなお「教会」に居座り「牧師」を続けると、当然ながら地域住民にも地域の諸教会にも少なからず「メーワク」がかかってしまうわけです。
「生粋の自称牧師」にしても「ワケアリ自称牧師」にしても、やはり既存の教団なり教会が責任もって対処しないといけないと思います。まあ、私も思っているだけでなかなか行動できないのであれですが。やはり「ワケアリ自称牧師」はまずは元の所属教団が、そして「生粋の自称牧師」には地域教会が対処する。大変で面倒なことだとは思いますが、でもそうしていかないと、また被害に会われる方々がでてきますし、今が正念場かなと思います。
オピニオンのフォローの記事を書こうと思ったら、たんなる感想文になってしまいました。フォロー記事が出るのを期待して待っていた方(あなた様のことです)、すみません、これでひとまずオピニオンの話題は終わりにいたします。
読者の皆さま。ぜひ、この自称牧師問題が建徳的な方向に議論と対策を進むように祈ってくださいませ。終わり。
(日本基督教団史上初の免職といういろいろな意味で歴史的な事象とかぶってしまって、ちょっとタイミング悪かったかなあ。あのお、そちら様の件はとりあえず今のところ関係ございません。まあ、オピニオン読めばわかっていただけると思いますが。)
このオピニオンを受けて「命と性の日記〜日々是命、日々是性」の水谷潔師が「「自称牧師問題」を考える」の記事を書いてくださいましたので、ぜひそちらをご覧くださいませ、ませ。
「自称牧師」問題を考える(1)〜「オピニオン」からの提案
「自称牧師」問題を考える(2)〜現在進行形の事例
「自称牧師」問題を考える(3)〜苦悩する地域教会からのアプローチ
「自称牧師」問題を考える(4)〜「身内の恥」か?「公同の教会の公益」か?
水谷師が「身内の恥」に対するに言及しておられるように、あのオピニオンで私が問題提起したかったのは、つまりそういうことなんです。
もちろん、教団の執行部として問題牧師の処遇にかかわっておられる方々にとっては、「えー。まだ関わり続けろって言うのかよ。冗談じゃねえよ。もうね、紳士的に話し合うっていうレベルじゃねーぞ。正直言ってご免だ。もう、うんざり。もう、終わりにしたい」、という気持ちもあるでしょう。本当にご苦労様です。胃に穴が開いたり、円形脱毛症になったりした方々もいらっしゃるでしょう。問題牧師の処遇に直接関わる担当者の方々は本当にご苦労様と申し上げたいです。
私が問題提起したかったのは、担当者の働きについてではなく、組織なり個人が抱いている、ある種の保身的な「空気」と言ったらよいのでしょうか。「身内の恥をさらしてどうする」とか「臭いものに蓋」とか「寝た子を起こすな」とか、あるいは「トカゲの尻尾切り」というのでしょうか、まあ、そういうことです。
まあ、牧師の不祥事に限ったことではないですが、「アカシニナラナイ」ということをかつてしばしば耳にいたしました。(そういえば、伊那の人たちは言わないね。のんびりしてるんだね。閑話休題)。私のキリスト教理解によれば、救いとは「恥をさらしても生きていける」ものであり、そこにキリストの生と死と復活があると私は信じております(もちろん本人が恥を痛感していることが欠かせませんね。本人が恥と思わずぬけぬけと生きているのは「鈍感の極み」といわざるを得ないでしょう)。ですから、自称牧師問題をしつこくかかわり続けると、「まーだやってんのかよ。もうこれ以上身内の恥をさらすなよ。アカシニナラナイ」という内外から声が聞こえるわけですが、声は声として承りつつ、それでも恥をさらしてもなお、聖化の希望を信じて、かかわり続けるのが、本当のきよめだと思うんですよね。
自称牧師も大きく2つあり、最初から教団の正規の手続きを経ずして牧師を名乗る「生粋の自称牧師」と、今回のオピニオンで取り上げたような免職後も牧師を名乗る「ワケアリ自称牧師」の2つがございます。もちろん、自称牧師のすべてが問題を引き起こしているわけでは必ずしもありませんし、ことに「生粋の自称牧師」に関しては、私の知る限り、重篤な問題を引き起こしている人物はそれほど多くは無いような印象があります。とはいえ、「生粋の自称牧師」の中には、やはり問題ありと言われる人々もおりまして、いわゆる「注意すべき人物」とか「注意すべき教会」のブラックリストに名を連ねております。加えて「ワケアリ自称牧師」の場合は、免職の理由が、どう考えてもアウトだろう、という理由なわけですから、それでもなお「教会」に居座り「牧師」を続けると、当然ながら地域住民にも地域の諸教会にも少なからず「メーワク」がかかってしまうわけです。
「生粋の自称牧師」にしても「ワケアリ自称牧師」にしても、やはり既存の教団なり教会が責任もって対処しないといけないと思います。まあ、私も思っているだけでなかなか行動できないのであれですが。やはり「ワケアリ自称牧師」はまずは元の所属教団が、そして「生粋の自称牧師」には地域教会が対処する。大変で面倒なことだとは思いますが、でもそうしていかないと、また被害に会われる方々がでてきますし、今が正念場かなと思います。
オピニオンのフォローの記事を書こうと思ったら、たんなる感想文になってしまいました。フォロー記事が出るのを期待して待っていた方(あなた様のことです)、すみません、これでひとまずオピニオンの話題は終わりにいたします。
読者の皆さま。ぜひ、この自称牧師問題が建徳的な方向に議論と対策を進むように祈ってくださいませ。終わり。

