2020年04月03日

結婚式の説教(某年某月某日、某夫妻および教会のために)

コリント人への手紙第一13章

夫さん、妻さん。ご結婚おめでとうございます。ご両家の皆さん、教会の皆さん、友人知人の皆さん、おめでとうございます。

夫さん。あなたの隣にいる人は、この世界で唯一の特別な相手です。そのことを生涯忘れてはいけません。
妻さん。あなたの隣にいる人は、この世界で唯一の特別な相手です。そのことを生涯忘れてはいけません。

結婚とは「共に生きる」ということです。
二人が共に生きて、夫婦というひとつの人生を旅する、これが結婚です。

二人は夫婦として共に生きることを神の前に誓いました。
良心に恥じない生き方をすることを神に誓いました。

しかし人は誰でも過ちを犯します。
もし過ちを犯したなら、自分の過ちを認めなさい。そして相手に赦していただきなさい。
互いに赦し合い、励まし合って生きていきなさい。

たとえ転んでも二人で立ち上がりなさい。
二人とも立ち上がれなければ第三の方に頼りなさい。
三つ撚りの糸は簡単には切れないのです。

自分に負けず、明日に向かって生きる勇気を持ちなさい。
生きる勇気は、愛から生まれます。

愛するとは相手をひとりの人間として認めることです。
妻は物ではありません。
夫は物ではありません。
互いに相手をひとりの人間として認めなさい。
それが愛するということです。

皆さんは、誰かが自分のことを信じてくれたり認めてもらえたとき、心が強くなるのを感じたことがあるでしょう。
人は愛によって強くなるのです。それが生きる勇気となるのです。

結婚するとは苦労することです。二人が一つとなって歩むということは、苦労することでなくてなんでしょう。
しかし苦労は不幸ではありません。むしろ苦労は幸せへの入り口です。

人生は良いことばかりではありません。明日、何が起こるかもわかりません。二人の決意だけで結婚生活が全うできるわけではありません。だからこそあなた方には祝福が必要なのです。

祝福とは、「生きていてよかった」と心の底から実感できる助けのことです。

あなた方のご両親も周りの方々も、結婚は楽しいことばかりではなく、むしろ辛いことや苦しいことが多いことを知っています。
にもかかわらず、二人が結婚という人生に進んでいくことを祝福しようとしています。

それは、あなた方が共に生きようとする、その志を喜んでいるからです。
そして、二人の愛が周りの人に伝えられ、今度はあなた方が周りの人を祝福する夫婦となることを願っているからです。

最後に申し上げます。
あなたがたは神に愛され、神に祝福されています。キリストが十字架で死に三日目に復活されたのも、実にそのためなのです。

以上、申し上げたことを心にとめて、二人で共に生きていってください。

あなた方が天を見上げ、私たちは神に祝福されているのだと信じるなら、祝福の声はいつでも心の中に聞こえてくるでしょう。

どうか二人の上に祝福がありますように。
二人を祝福する人々に祝福がありますように。




(以前、あるご夫妻から25分以内の結婚式の司式と5分以内の説教を依頼されたことがありました。これはその時の説教です。読者の参考になれば幸いです)
posted by 伊那谷牧師 at 17:57| Comment(0) | 説教原稿 | 更新情報をチェックする

2020年02月22日

マスクの効果

一般的な不織布(ふしょくふ)マスクの網目の大きさは5マイクロメートルと言われている。
感染症の原因ウイルス粒子の大きさは1マイクロメートル未満であり、マスクの網目を通過する。

一方、感染者が咳やくしゃみによって体外に放出したしぶき、すなわち飛沫(ひまつ)の大きさは、5マイクロメートル以上と言われている。

このことから、次のことが言える。

まずウイルス感染者が感染拡大を防ぐために、マスクを着用することには、それなりの効果があると言える。

ただし、マスクの隙間から飛沫が放出された場合、マスク着用の効果はない。その意味で、マスクを着用するならば、正しく着用すべきである。
(が、顔面に完全に隙間なくマスクを着用することは無理である)

また、感染者が手を介して、飛沫をドアノブ等に付着させた場合には、当然、マスクでは防ぐことはできない。
ありがちなのは、ウイルス感染者がマスクを外すときに、マスクの内側(口や鼻が当たるところ)を触ってしまうことである。そこにはウイルスが多数付着している可能性がある。そこを触った手でドアノブ等にウイルスを付着させてしまう可能性がある。
したがって、ウイルス感染者がマスクを外すときは、マスクのひもを持って外し、マスクの内側の面に触れないことが重要である。そしてマスクを外したときに手を洗うことが重要である。


非感染者にとってマスク着用の効果はあるか。
まずウイルス粒子はマスクの網目を通過するので、その意味ではマスク着用によってウイルス感染を直接防ぐことはできない。
ただし近距離に感染者がいる場合、感染者からの飛沫を吸い込んでしまうことはそれなりに防ぐことはできる。
とはいえ、こちらもマスクに隙間があるならば、そこから飛沫を吸い込んでしまう可能性があるので注意が必要である。
マスクをすることで口内の湿度を保つので、その意味では感染を防ぐ効果があるかもしれない。ただし、どの程度効果があるかはわからない。

非感染者にとってマスク着用の最大の効果は「安心感」だと思われる。
この「安心感」が精神的ストレスを緩和する。
とはいえ、こうした「安心感」に頼り、手洗いを怠るなら逆効果と言わざるを得ない。


ウイルス対策として最も効果的なのは手を洗うことである。
普通の石けんでよい
(トリクロサン等の抗菌剤入りのものは、そもそも抗ウイルス効果はないし、逆に耐性菌を増やす恐れがあるので、使う意味はないし、使わない方がよいと個人的には思う)


結論

マスクの効果を過信せず、手洗いや手指消毒を第一に考えよう。
posted by 伊那谷牧師 at 08:20| Comment(0) | 衛生管理・薬 | 更新情報をチェックする

2019年05月14日

過去記事復活

過去記事復活完了。


1. seesaaの仕様なのか、URLが変わってしまった。
末尾の9桁の数字の冒頭に a が付いてしまっている。

例 ../123456789.html → ../a123456789.html

ご堪忍を。

404が出た場合は修正するのでご連絡を賜りたく。

2. 「梅えずら記」も復活。
「戦時下における福音派の文章」も復活。

ご笑覧ください。
posted by 伊那谷牧師 at 00:00| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする

2019年05月13日

過去記事部分復活中

全削除した記事をアーカイブスから戻している途中。

1. まだ復活途中である。
「小説冲方晴夫」は戻せた。
「梅えずら」はまだ。

2. seesaaの仕様なのか、URLが変わってしまった。
末尾の9桁の数字の冒頭に a が付いてしまっている。

例 ../123456789.html → ../a123456789.html

堪忍堪忍。


posted by 伊那谷牧師 at 00:00| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

聖書黙想 詩篇1篇

神を知りたければ詩篇を読め、という言葉に誘われて
詩篇を読み、黙想する。

まずは詩篇1篇。
1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
3 このような人は流れのほとりに植えられた木の 時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
4 悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
6 主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
(口語訳)
(口語訳をこのブログで使うのは、単に著作権上の理由であり、他意はない)


善人と悪人の対比。
善人の繁栄をうたい、悪人に滅亡をうたう詩。
応報思想。

しかし善悪は見方を変えると変わりうる。
簡単に一方を善人、一方を悪人と断じてよいものだろうか。
そうした相対世界にあって、この詩は意味を持ちうるのか。
まずはその問いがある。

加えて、現実世界はこの詩とは逆に映る。
善人が滅び、悪人が栄える。
現実世界は不条理がある。
不条理のこの世界に対して、この詩はまるで絵空事のように、嘘臭くも思える。

さらに、応報思想を幸不幸の説明に使われるとき、
ヨブのように苦難にある者をさらに苦しめることになる。
被害者非難。被害者バッシング。
この詩にはそのような危険性はないか。
その問いがある。

だがもしこの詩が、虐げられている者の詩であるならどう読むか。

虐げの中にあっても、なお神の正義が実現するときを待つ者の祈り。
苦難の中にあっても、悪に与せず、誠実に生きようと志す者への賛歌。

力ある横暴な者どもよ、滅びよ!
権力を背景にのさばる者よ、くたばれ!

神よ、ご自身を隠すお方よ、まことに正義をなすお方よ。
あなたは、どこにおられますか。
この不条理の世界にあって、
あなたが確かに生きておられることを
お示しください。

「たとえあなたが見えなくても、私は決して横暴な権力者に跪かない」との思いを
常に我らの心に起こさせてください。

(参考図書、月本昭男『詩篇の思想と信仰』)
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2019年04月16日

伊那聖書教会HP

伊那聖書教会HPを作成しました。
よろしかったら閲覧ください。
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2019年04月07日

名称未設定3

私はハラスメントの被害者でもあるが加害者でもある。
私のハラスメント行為によって苦痛を受けた被害者の方々には本当に申し訳ないことをした。
私は被害者の方々に対して謝罪をしたが、それで済んだとは思っていない。
彼らが求めるなら何度でも謝罪したいと思う。
彼らの心の傷が癒えるようにと祈っている。
posted by 伊那谷牧師 at 21:17| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

名称未設定2

この教会に赴任してから16年経った。
最初の任地のまま今に至っている。
今50歳だが、50年という歳月も、16年という年月も、人生を振り返ることが許される長さだと思う。

この間公私にわたりいろいろなことがあった。
喜びもあり悲しみもあった。

教会では少なからず人を失った。
長寿を全うして天に召された人、病気で召された人、交通事故で突然召された人、自ら命を絶った人。
別の教会に移った人や来なくなった人もいる。
仕事や家族の都合で引っ越した人、病気療養のために遠くに行った人、教会が合わなくてほかの教会に行った人、日常に忙しくて来なくなった人、興味を失って来なくなった人、教会や私に躓いて来なくなった人、etc。
一つとして同じケースはない。

教会では新しい出会いもある。
新しく誕生した赤ちゃん、結婚する二人とその家族や友人たち、葬式の遺族や友人たち、進学や転勤で越して来た人、旅の途中で立ち寄った人、聖書やキリスト教に関心を持った人、教会のイベントに来た人、悩みを聞いてもらいたくて来た人、人生の土台を求めて来た人、救いを求めてきた人、DV現場から逃げてきた被害者、祈ってもらいたくて来た人、会堂の補修に来た人、お金や食べ物を求め来た人、ぶらっと立ち寄っただけの人、etc。
こちらも一つとして同じケースはない。

教会の外でもいろいろな人との出会いがあった。それは本当に有り難いこと、得難いことだと思う。

家族もこの16年でいろいろなことがあった。
今はそれを書くつもりはないし、これからもないだろう。
ただ、子どもたちは今それぞれの道を歩んでいる。
そのことを親として、妻と共に普通に喜んだり普通に心配したりする日々だ。

私は教団でハラスメント対策を担っているが、この私が加害者でもあり被害者でもある。
だからハラスメント対策なんぞと、偉そうなことは言えない。
それはこの教会ばかりでなく、昔通っていた教会でもその経験をした。
ある人が「現場にいたことを権威にするな」と言っていた。
それは私に向かって語られた言葉でもないし、それとはハラスメントとは違う文脈でのことだが、その言葉は今でも私の心に響いている。
だから、自分の経験を誇るつもりはまるでない。
加害者として被害者として、その経験は苦く痛いものだ。
もし、しなくて済んだ経験ならばどんなによかっただろうかと思う。
ただ、その経験がなかったら、わからないこともあっただろう。
そういうことからして、それらの経験は無意味ではなかったと思えるようになった。

今は。
posted by 伊那谷牧師 at 00:00| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

名称未設定

このブログを書くことをやめ全記事を削除してから3年になるだろうか。
読者の皆さまには申し訳ないことをした。
私がそれをした理由は書くことはないと思うが、振り返れば別の理由だったかもしれないと今思ったりもする。
また書こうと思うのでこれからもお付き合いをお願いしたい。
posted by 伊那谷牧師 at 00:00| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

ゾシマ長老語録

「悲しみの中に幸福を求めるがよい。働け、たゆみなく働け」
(ゾシマ長老がアリョーシャに語ったことば。『カラマーゾフの兄弟』第二篇 第七 米川訳 165ページ)
posted by 伊那谷牧師 at 00:00| Comment(0) | 未分類 | 更新情報をチェックする