2008年05月17日

自殺報道のあり方

まず、WHOの自殺報道に関するガイドライン「自殺予防 メディア関係者のための手引き」より

してはならないこと
􀁺写真や遺書を公表しないこと。
􀁺使われた自殺手段の特異的で詳細な部分については報道をしないこと。
􀁺自殺に単純な理由を付与しないこと。
􀁺自殺を美化したり、扇情的に取り上げたりしないこと。
􀁺宗教的、あるいは文化的な固定観念をステレオタイプに用いないこと。
􀁺責任の所在を割り付けたりしないこと。

すべきこと
􀁺事実の公表に際しては、保健専門家と密接に連動すること。
􀁺自殺は「既遂」と言及すること。「成功」とは言わない。
􀁺直接関係のあるデータのみ取り上げ、それを第1面ではなく中ほどのページの中でとりあげること。
􀁺自殺以外の問題解決のための選択肢を強調すること。
􀁺支援組織の連絡先や地域の社会資源について情報提供をすること。􀁺危険を示す指標と警告信号を公表すること。


ここを読む限り、日本のTV報道はずいぶん立ち遅れている感があります。毎回思うことですが、なぜ自殺の手段を紹介するのでしょうか。また自殺の方法が掲載されてある情報源について、報道するのでしょうか。ニュースワイドショーで扇情的に報道するのもいい加減にやめていただきたいものです。

昨日のNHK昼のニュースだったと記憶していますが、自殺に関するインターネット掲示板の影響について報道していました。確かにインターネット掲示板の影響を無視はできないでしょう。ただ、インターネットの影響を問う以前に、TVで自殺報道をする自分たちに対する反省や自律はないのでしょうか。WHOのその勧告の中にも次のようにあります。
ごく最近、インターネットが、新たに多くの問題を提示している。自殺の計画を幇助するウェブサイトもあれば、自殺予防を試みるウェブサイトもあるが、これまでのところ、その自殺への影響を包括的に解析した研究はまだない。
全般的に、新聞とテレビによる自殺に関する事実報道の形式のうちいくつかのものが、自殺の増加に統計学的に有意に関連していることが、充分に根拠をもって示されている。そしてその影響は、若者の間で最も大きいことが示されている。

インターネットの時代とはいえ、やはりTVからの情報量やその影響力は計り知れないものがあります。多大な影響力をもつことを自覚し、他の媒体に責任転嫁するかのような姿勢を改めていただきたいものです。

WHOのガイドラインにある、「すべきこと」をTVができないなら、せめて「すべきでないこと」をしないでいただきたいものです。

そして視聴者もTVの報道に対して、よい意味で批判的に聞いて欲しいものです。メディア・リテラシーというのでしょうか。これは自殺に限ったことではありませんが、そう願うものです。
自殺は本人はもちろんのこと、家族と、それを食い止めることが出来なかった周りの者にも大きな傷跡を残します。これ以上、悲劇を繰り返してほしくありません。
posted by 大杉至 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月06日

ピレモン人、ヤコブ人、ペテロ人

単なるコピペの誤りだと思うのですが、(というのは自分でもコピペミスはしょっちゅうしているからですが)

「ピレモン人への手紙」
という言葉を見たときには、おもわず笑ってしまいました。

そして、こういう誤りはいかにもありそうなので、もしかしたら、「ヤコブ人への手紙」とか「ペテロ人への手紙」などもあるかと思い、検索してみました。

その結果、あるわ、あるわ。宝の山です。

そこでgoogle検索の結果を発表します。(5/6現在)

"テモテ人への手紙"...172件。
"テモテ人の手紙"...2件。

"テトス人への手紙"...17件。
"テトス人の手紙"...なし。

"ピレモン人への手紙"...21件。
"ピレモン人の手紙"...なし。

"ヤコブ人への手紙"...10件。
"ヤコブ人の手紙"...1件。

"ペテロ人への手紙"...8件。
"ペテロ人の手紙"...なし。

"ヨハネ人への手紙"...1件。
"ヨハネ人の手紙"...1件。

"ユダ人への手紙"...なし。
"ユダ人の手紙"...なし。

堂々一位は、「テモテ人への手紙」でした。

やはりコピペは注意深くやらないといけませんね。

自戒を込めて、記します。
posted by 大杉至 at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月03日

不当な支配に対する抵抗:チベット

今日は、1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念して制定された憲法記念日です。

昨年5月14日に憲法改正手続きを定国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)が自民党・公明党の強行採決によって可決成立しました。あれから1年が経過しましたが、最低投票率の問題などなにも解決されないままです。
一方私もあれから1年経って、学習や運動や啓蒙の不足を覚えるものです。今は改憲論議は表立って出てきませんが、「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘)など超党派の国会議員らは改憲に向けて着々と用意しているようです。改憲派の憲法観は、自民党の新憲法草案にあるように、国家権力を縛る法律から、国民を縛る法律へと変えようとしているということです。
そもそも憲法とは、政治的権力からの不当な支配に対して抵抗するための法的根拠を与えるものです。ただしこの国では、三権分立の立法も司法も、行政の追認機関に堕落しているようです。国会は与党の強行採決や再可決という数に任せた暴力がまかり通っています。また最高裁が違憲判決を控えるために、地裁や高裁が違憲判断を示さねばならなくなり、しかも最高裁にいくと権力寄りの判決に変えられます。一部で「最低裁判所」と揶揄される始末です。さらに第四の権力といわれるマスコミも、朝日を初めとして体制翼賛、御用メディア、大本営発表の場と化しているようです(読売、産経、日経は元からでしょうが)。国民を守るべき場が崩されつつある現状ですが、ここは諦めずに声を上げ続けるよりほかありません。

時々読みにいくマガジン9条の中に、渡辺一枝さんにチベット問題へのインタビュー記事がありました。

・チベットでは中国政府からチベット語教育の制限などが行われていること。
・僧侶らは暴動を起こしたのではなく、国家権力の不当な支配に対する抵抗の声を上げたということ。

民衆は不当な支配に抵抗しなければならないし、不当な支配を抑制するために、あらかじめ権力を制限、コントロールしなければなりません。それは中国であろうと日本であろうと同じことです。

中国政府のチベットに対する不当な支配に対して批判の声を上げるなら、日本の政府の不当な支配に対して批判の声を上げなければなりません。しばしば、これを中国対日本の問題にすり替えてしまう人々がいますが、それは議論をミスリードしてしまうものです。

不当な支配に対する抵抗は、どの国の人であろうと変わらないはずです。また今権力を行使する側に立っているものであっても、いつ自分が権力の地位から降りて、不当な支配を受ける側に立つか分かりません。ですから誰が権力行使する地位についても、誰もが平和に暮らせる政治構造にしなければならないのです。

そのためには、声を上げる場を失わせてはなりませんし、また声を上げ続けなければなりません。

自戒と希望を込めて

1テモテ6:13〜16
「私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。その現れを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」
posted by 大杉至 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こしあぶら

3日前に教会のH姉から「コシアブラ」の新芽をたくさんいただきました。「お義父さんが山から採ってきて」とのこと。
早速てんぷらにして、天つゆと大根おろしでいただきました。


美味い。


同じウコギ科のタラの芽よりも香りがあり、そしてなによりその味。
一口さくっと噛むほどに口の中で広がる、木の芽の甘味と、ほのかな苦さ。

伊那に来て初めて知りました。こんなに美味い食べ物を。
食べすぎて、夜まで腹が空きませんでした。
てんぷらでなくおひたしにもできるそうですが、どうなんでしょう。今度試してみようかな。


いっしょに、庭のセイヨウタンポポの葉もてんぷらにして食べてみましたが、おいしくはなかったです。下ごしらえとか何か必要なのかもしれません。セイヨウタンポポは「食用」として明治時代に日本に入ったようですし、今でも、「薬用」と見なされることもあります。
セイヨウタンポポ - 「健康食品」の安全性・有効性情報 (国立健康・栄養研究所)
庭に自生しているので、買わずにすむのですが。
posted by 大杉至 at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 食べ物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

違憲判決と依願退職

自衛隊のイラク派遣初の違憲判断が17日の名古屋高裁で出されました。

イラク派遣初の違憲判断 空自活動「9条に違反」

イラク派遣が違憲であることは誰の目にも明らかです。現職の自衛隊員(派遣経験がある二等空佐)でさえ「違憲との結論は当然。もともと説明が苦しいことをやっているのだから」(信濃毎日新聞4月18日号より)と言っているほどです。にもかかわらず、これが画期的判決といわざるを得ないほど、この国の司法は寒い限りです。

ところでこの判決を出した青山邦夫裁判官は3月31日付けで依願退職されており、判決文は代読でした。

 私は当初、この青山裁判長は定年退職とばかり思っておりましたが、依願退職であったと知って驚きました。ブログ上では圧力か、もしくは職を賭しての判決文かと噂されておりますが、真相は藪の中。いずれにせよ、辞職覚悟で違憲判断をしなければならないほど、この国の司法の独立は妨げられていると言わざるを得ません。

「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」(ルカ19:40)
posted by 大杉至 at 22:19| Comment(1) | TrackBack(1) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月22日

受洗者数/現住陪餐会員数の減少傾向

だいぶ、ご無沙汰しておりました。
私の所属する同盟教団の総会もひとまず終え、期待とともに責任を強く覚えるものでした。

数の増加については、スケール・メリット的な発言がなされ、その効果を期待する声があとを立たないわけですが、メリットがあればデメリットもあるのが物事の常でありまして、スケール・デメリットも一緒に考慮しないといけません。それは、また後で考察することにいたします。

さて友人牧師から、教団において教会数や現住陪餐会員数は増加しているが、受洗者数が減少していることについて指摘を受けました。確かにこれは非常に気になります。

とりあえず手元にある1991年以降のデータで、(受洗者数)/(現住陪餐会員数)の年次プロットと回帰直線を計算しました。

PRTGRAPH_002.jpg

(受洗者数)/(現住陪餐会員数)の意味するところは、単純に言えば今話題の「宣教力」とか「伝道力」ということになるかと思います。
1991年以降これが減少傾向にあり、近年は4%を切っております。回帰計算では今から20年後の2028年には0(ゼロ)になります(相関係数-0.92)。もちろん教団で受洗者0(ゼロ)ということは起こりえないとは思いますが、非常に厳しい数字です。
この要因について、社会要因もあるでしょうし、教会の要因もあることでしょう。もう少し詳しい分析をしないとなんとも申せません。

ただ現時点で言えることは、率という点では同盟教団は、明らかに落ち込んでいる、ということです。

必死で祈らねばと思わされました。
posted by 大杉至 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

中高年の活字離れの対策は学校で?

読売新聞社の世論調査によると年齢が上がるにつれて活字離れが進むそうです。

「本離れ」は、若者より中高年の方が深刻――。(中略)この1か月間に本を「読まなかった」人は52%で、1980年から始めた同調査で3番目に高かった。年代別に見ると、20、30歳代は各41%で、前回調査より減ったのに対し、40歳代から上の年代は増加、50歳代は55%、60歳代は61%、70歳以上は66%だった。
 すでにいくつかのブログでも指摘されておりますが、年齢が上がるにつれて読書量が減る傾向は昔から変わらないそうです。それが今回裏付けられました。年齢が上がるにつれて意欲が減退したり集中力が低下したり、また目が疲れやすくなりますからね。自然な成り行きですね。中高年の活字離れ自体は特に問題視することではないでしょう。
 むしろ、以前から言われている「若者の活字離れ」というのは印象論に過ぎず、実態に基づいていないということが判明されたことが大きいですね。このような印象論と実体論の乖離というのはよくありますから、印象論はそうとう注意しないといけません。「少年犯罪の急増」の印象論と実体論の乖離(つまり少年犯罪は実際には急増していない)ときわめてよく似ておりますね。こういった印象論が、諸問題をすべて教育問題にすげ替えたり、実態とかけ離れた教育再生論を発生させるのでしょう。

 その典型が活字離れの対策に表れております。
活字離れに歯止めをかけるための方法として効果的なものは何か――を聞いたところ、「『読書の時間』を学校の授業科目にする」40%が最も多かった。次いで「読書への興味を持たせる教師を増やす」28%、「新聞を使った教育を充実させる」23%――などが続いた。
 これはジョークでしょうか?中高年の活字離れが進んでいるになぜ学校の授業科目云々という答えが最多になるのでしょうか?意味が分かりません。まさか中高年を学校に行かせようということでしょか。あるいは子や孫の読書量を増やせば、親や祖父母も活字離れしなくなるということなのでしょうか?たぶんそういう意味ではないでしょう。アンケートの設問の詳細が分からないの断定できませんが、おそらく「活字離れ=子どもや若者の問題」という先入観がこのような回答になったのだと推測します。

 もうひとつ興味深いのが読書をしない理由です。
「時間がなかった」49%がダントツ。
多忙感というのはあくまで本人の自覚ですから、この回答について理解できないわけではありません。ただ20代30代よりも高齢者の方が多忙感があるものなのでしょうか。このあたりは主観の問題だと言われればそれまでです。ただ、人は面倒なときに忙しさを理由にするわけですから、この真意は「読書するのが面倒だ」ということかもしれません。その面倒さは肉体的、精神的な辛さに起因するのでしょうね。

 読書の目的は読書の行為それ自体にあるのではなく、広い意味での内的充足を得ることにあるわけです。ほかのもので代償できれば別に活字にこだわらなくてもよいだろうと思います。ただ昨今の格差社会の中で、大多数の庶民の生活の質が低下し、内的充足が奪われている中で、果たして代償があるかどうか。せいぜいテレビに流れていっているような気がします。(高齢者ほどテレビをよく見るとも言われております)。昨今はテレビ番組が偏向・翼賛・低俗化しております。そういう意味では、本当に、中高年のために良質な教育を受ける場が必要なのかもしれませんね。
posted by 大杉至 at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

借り物ではない思索を

第15回信州夏期宣教講座のエントリーの続きです。どなたの意見だったか記憶が定かではありませんが、質疑応答か討論の中で、「(権力や歴史)批判の議論は借り物ではいけない」の意見がありました。私はその意見には一応同意しつつも、自分の経験から言っても、借り物でも無いよりはましではないか、と反論しました(ほかにも同様の反論がありました)。
私の反論に対する意見として、要は借り物のままでよいわけではなく、自論になるように思索し続ける、神学し続けるということでした。これはもっともな意見です。
確かに私たちは通俗的な批判を繰り返すだけではいけないものです。リアルタイムで起こる出来事に対して神学的批判で即応できないとしても、常に神学的に思索し続けることは必要ですね。
posted by 大杉至 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

軍事費の財源こそ問うべき

相変わらずこの国の政府と財界と翼賛マスコミ(朝日、毎日、日経、読売、産経)は、教育や医療や福祉など国民生活かかる支出にはやたらうるさいことを言うのに、軍事費の支出には無頓着のようです。福祉の財源にはどうするんだと騒ぎながら、軍事費の財源には沈黙しております。加えて米軍基地の建設費、米軍支援の洋上給油活動、米軍思いやり予算。これらの財源について日本政府はどう説明しますか。また財界や翼賛マスコミはどのように発言しますか。

こんなにも国民に優しくない内閣を半分以上の人間が支持しているというのは、調査方法に問題があるとしか考えられません。一日も早く国民に優しい政府になってください。
posted by 大杉至 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国民に銃を向ける政府よ、さらば

国民に銃を向ける政府は日本だけではありません。

ミャンマー(ビルマ)軍事政権です。

9/26 ミャンマーの僧侶デモで死者、発砲や殴打で少なくとも3人

そして9/27、日本人ジャーナリストの長井健司さんが軍政治安部隊に狙撃され死亡してしまいました。
ミャンマーで邦人ジャーナリスト・長井健司さんが死亡

国民や無防備の人に銃を向けるような政府はあってはなりません。
日本政府は世界でもっともミャンマー軍政を支持し続けてきた政府です。どうか両政府とも平和で人に優しい政府になってくれるように切望いたします。長井さんの御遺族の慰めとミャンマー(ビルマ)の平和のためにお祈りいたします。
posted by 大杉至 at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人的見解 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする